「闘争反射」のようなものがそのまま遂行されてしまえば、「感情」は起こらない。
「感情」とか「欲望」は、「反射」が抑えられたときに生まれる意識である。
つまり、下位階層の機能に、ブレーキをかけたときに、意識が立ち上がる。
そういう反射が強制的言語系などで抑えられているとき、つまり、身体の方には戦かわんかなの変化が起こっているのに、実際は戦わないときに、その「中途半端な身体変化の信号」が感情を作り出す。
つまり、反射という下位の機能を抑えて、しかも今だ、それに対する行動を取っていないときに、それよりも高次の機能である「感情」とか「欲望」とかが「意識」にのぼる。
さらに、「感情」とか「欲望」とかの下位の機能をを抑えて、しかも今だ、それに対する行動を取っていないときに、それよりも高次の機能である知性が「意識」にのぼる。
「意識」とは、下位の機能の実行を抑えたときに、次の実行を準備する「受け皿」、「まな板」(ワーキングメモリー)としての役割を果たす。
これはヘーゲルの弁証法であり、正⇒反⇒合の内の、「正」に対して「反」を申し立てると、「意識」が立ち上がり、その中で「合」が組み立て(止揚)られて、実行に移される。
゜脳―行動のメカニズム (知的生きかた文庫)」(by千葉康則from三笠書房)から抜粋引用と私の見解の付加。
- 作者:千葉 康則
- メディア: 単行本
- 作者:千葉 康則
- 発売日: 1989/05/06
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